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障害者が働くということ

今日の駅

6日間の採用実習試験が終わり、ヘルパー2級の実習から続いていた「実習漬けの日々」から解放されました。
やり遂げた達成感と、得たもの・考えさせられたものの大きさを感じています。

採用実習の最初の3日間は、重症心身障害と呼ばれる人が日中を過ごす事業所での実習でした。
自分自身が笑顔でいられることを心がけ、活動を楽しむことができたのがよかったと思っています。意思をくみ取るのが難しい人の意見も時間をかけてくみ取っていることが印象的で、一人ひとりの自己実現を大切にしているということを感じました。

後半の3日間は、知的障害の人が仕事をしている事業所での実習でした。
メンバーはそれぞれ自分の仕事を心得ていて、最初、その中で一緒に仕事をさせてもらって実習するということが難しく感じました。ある程度不自然な形でも自分から立ち入って、「仕事を教えてもらう」という形で関わりを持たなければいけないということに気づくのに、少し時間がかかりました。
1日ずつ、3つの部署で実習をさせていただいたのですが、それぞれやり方が違っていて、とても特徴的でした。1つの事業所の中で特徴的な部署をいろいろ持つことによって、一人ひとりのニーズに沿おうとしているのかと感じました。

ただ、「障害者が仕事をする」ということの意味については、かなり考えさせられました。今も考えています。
「技能を身につけて、一般就労したい」というニーズを持っている人もいるだろうし、「ここで仕事をする」ということにやりがいを持っている人もいると思います。そういう人にとっては、「仕事をする場」にいることの意味はあると思います。
でも、「働かざる者、食うべからず」の時代と違い、一般的にも働くことへの価値観は多様化しています。

厚生労働省としては、ニートフリーターに対しても、障害者に対しても、正規雇用や一般就労に結びつけようとしています。

でも、そういう政策的なものとは別に、社会の中には、ニートフリーターに対して「そういう生き方があってもいいんじゃないの」という価値観を持つ人が、ある程度いることも確かです。
そういう世の中で、仕事をするべきなんだ、働かないことは良くないんだと、必ずしも言えなくなってきていると思います。

自分は何がやりたいのか、どういう生き方をしたいのか、それを踏まえた上でそれに合った仕事があるのであればそういう仕事ができればいいし、仕事をするということが自分に合った生き方でない(+仕事をしなくても生きていける)のであれば、それもアリなのではないかと思います。
自分自身、仕事をすることが自己実現なのではなく、自己実現をするために自分がやりたい仕事をしたいと考えて、これまで仕事をしてきましたし、これからもそういう姿勢で生きていくつもりです(じゃなければ、デザイナーとか福祉とか、割の合わない仕事をしようと思わないよ〜)。
「障害者が仕事をする」ということの意味というのは、障害のある人を、仕事できるように「訓練(=授産)」することではないと思っています。

障害のある人が自己実現しようとするための選択肢としての仕事先が少ないことが問題であって、障害がある人もない人も自己実現できるような社会づくりをしていくことに意味があると思っています。
私が昔、埼玉で(わずか2年間でしたが)関わらせてもらった「県庁ショップ」も、単に障害者が働く場を作ったというわけではなく、県庁という多くの人が出入りする場で「障害のある人も働くことができるんだ」ということを示す役割と、県に対して障害者雇用の選択肢を広げるような「風穴を開ける」目的が強く、ソーシャルアクション的な要素が大きかったと思っています。

決して、実習させていただいた事業所の批判をしているわけではありません。実践については学ぶところも大きかったですし、何よりいろいろと考える機会を与えていただいたことに感謝しています。

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