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「タイガーマスク運動」にいまいち賛同できない理由

社会 パターナリズム 考えていること

12月頃から、全国各地で児童養護施設に寄付が相次いでいます。
いわゆる「タイガーマスク運動」と呼ばれていますが、自分は少し違和感を覚えます。その理由を書きたいと思います。

■なぜ児童養護施設なのか
漫画のタイガーマスクは、自身が児童養護施設で育っていて、大人になってから自分のいた施設にファイトマネーを寄付していました。
しかし、現代の全国の「伊達直人」さんの全てが、このような過去を持っているとは考えにくいです。
だとすれば、なぜ児童養護施設にばかり寄付が集まるのか、合理的な理由がありません。
寄付が必要なのは児童養護施設だけではありませんし、児童養護施設よりももっと寄付が必要なところもあるかもしれません。
ただタイガーマスクにあやかって児童養護施設に寄付しているだけで、ちょっと安易な気がします。

■お金のある人にとって、お金やモノを寄付するのは楽な方法
中には100万円寄付した人もいるようですが、その人はそれだけのお金持ちだったのでしょう。
「懐が痛まない程度」と言うと言い過ぎかもしれませんが、少なくとも自分が生活に困らない範囲内で寄付しているはずです。
支援の方法は、何もお金やモノを渡すことだけではありません。
児童養護施設であれば、子どもの遊び相手のボランティアになるなど、「行動」を伴う支援もあります。
でも、それは時間も手間もかかる方法です。
お金に余裕がある人にとっては、お金やモノを渡すというのは、いちばん面倒くさくない支援方法なのです。

■寄付すればいいというものでもないのでは?
1月初めに施設の入口にランドセルが置かれたものの、遺失物として3ヶ月保管されるため、子どもの手元に渡るのは4月の入学式ギリギリになってしまうというケースもありました。
いくら善意であろうとも、渡せばいいというものでもないと思います。
そもそも、本当にランドセルが必要なのかどうかも疑問です。
この時期であれば、すでに新入学生のランドセルを買う予算は、各施設で確保してあるはずです。
生かされなければ、善意も意味のないものになってしまいます。

■そもそも寄付で済ませるべき問題なのか
児童福祉の分野が、特に寄付が必要なのかということも疑問ですが、もし必要だったとして、それはそもそも寄付でまかなうべき問題なのでしょうか。
本来は、公(国や地方公共団体)からお金が適正に配分されるべきではないでしょうか。
もし「運動」として意味を持たせるのなら、「善意の寄付」ということに終わらせるのではなく、福祉への予算配分を世間に問うようなムーブメントにしていくべきではないかと思います。

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