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根本の部分、そして、お墨付き

今週は、激動の1週間でした。ブログに書きたいことはたくさんあって、今すぐに書き留めておきたい気持ちなのに、自分の能力が追いつかないことへのもどかしさを感じています。


前回のエントリで心理相談室に行ったことを書きましたが、なぜ心理相談室の門を叩こうと思ったのかに触れていなかったので、まずはその心境の変化について書きたいと思います。

心理検査の結果をもらってから2週間弱、調子の悪い日が続きました。眠くて重くて気だるくて、人との接触もつらい日々でした。でも振り返ってみると、この期間、ただ思考停止していたわけではなく、自分の頭の中でこんがらがった糸をほどく作業をしていたのではないかと思うのです。
そして、一つの答えにたどり着きました。私の場合、「うつ」はあくまで表面にあるものであって、「対人緊張」や「動揺しやすさ」や「処理速度の遅さ」などのほうがより根本的な問題なのではないか、と。

今までは表面だけを見ていました。いや、根本にあるものの存在にも薄々気づいてはいたのですが、見て見ないふりをしていました。それは「うつは誰でもなる病気」という言葉を信じたい、すがりたい、という気持ちがあったからです。
しかし、「うつは誰でもなる病気」は、半分は本当ですが、半分はウソなのです。正確には「うつは誰でもなる可能性がある病気」と言わなくてはいけないのです。そして、その「可能性」は、人それぞれのストレス脆弱性によって違うのです。
私の場合、根本にある「対人緊張」「動揺しやすさ」「処理速度の遅さ」などによって、ストレス脆弱性がより脆弱なのだと考えられます。

私はもう5年、うつ状態ということで治療を続けています。そろそろ根本の部分に焦点を当ててみるのもいいのではないかと思いました。「うつ」の症状に対しては薬物療法がメインですが、根本の部分を治療(あるいは改善、対処)するためには、薬物以外の心理療法が必要なようです。
いま通院している精神科クリニックには心理士がいません。そこで、外部の心理相談室に予約をし、面接をしてもらったのです。


心理相談室での面接内容は前回のエントリで書いたとおりだったのですが、今後どう行動していくかについては、私自身の選択が迫られることになりました。
心理相談室は医療機関ではないので、そこで診察を受けることはできません。発達障害の検査を受けた心療内科クリニックには医師も心理士もいるので、心理療法と診察の両方が受けられます。しかし、いま通院している精神科クリニックから転院することになるため、いまの主治医の先生との信頼関係を考えると後ろ髪引かれる思いがあります。

心理相談室に継続相談を希望するかどうか、返事を1週間以内にするようにと期限を区切られました。取り急ぎ、心理相談室からの帰り道に、心療内科クリニックに電話して翌々日の予約を取りました。
心療内科でこちらの希望を伝え、それに対して心療内科がどういう条件で治療を提供してくれるかを聞いて、その結果によって今後の行動を決めようと思ったのです。


心療内科の先生に対し、普通の診療枠の限られた時間の中で、これだけややこしい話を説明しなければいけません。前日から話の流れをシミュレーションし、メモ書きも用意して、当日の診察に臨みました。
まずは、「検査結果に納得できないというわけではなくて、むしろ腑に落ちてるぐらいなんです…」などと、私なりに気を遣いながら話を切り出しました。そして、「うつ」という表面の部分だけでなく根本の部分から治したいことや、心理相談室でのやり取りを話した上で、「うつ」の部分と根本の部分の両方について、この心療内科で治療を受けられないだろうかとたずねたのです。
しかし、医師の先生の返事は、どちらかというとつれないものでした。

まず、精神科の治療では継続して診るということが重要だが、転院となるとまたイチからのスタートになってしまう。現在の主治医とは2年ほどの関わりですが、それをリセットしてしまうのはもったいない、とのこと。
また、この心療内科では心理士が不足しており、満足のいくような治療を提供できるかどうか自信がないと言っていました。
「診療と心理療法を同じところでやったほうが、情報を共有してもらえるのではないのですか?」と聞くと、情報共有は確かにするが、私の場合「診療=うつ」「心理療法=根本の部分」と別々の部分を扱うことになるので、別々のところに通ってもさほど問題はないだろう、ということでした。

どういう選択をしても一長一短は出てくるのですが、とりあえずはいまの主治医に診察を受けながら心理相談室に通ってみて、それで納得いかなければ、あらためてこの心療内科に来てください、という先生の提案に同意することにしました。


さて、この日の話のそもそもの本題ではなかったのですが。
話の流れで、心理士の先生から「療育を受けないまま大人になった人っぽい」と言われたことや「衝動性がある」と指摘されたことを言ったら、「検査結果でパキッと傾向が出る人は出るのだが、あなたの場合は出なかった。ほかの人がそういう見方をしたからと言って、診断を出せるわけではない」と返されました。「見立て」なんていろいろあるんだと思ってますし、それは気にしてないんですけどね。
さらに、先生はこう言いました。「あるレベルからパツッと発達障害となるわけではなく、実際には、その間にだいぶグレーゾーンがあるわけで。あなたの場合も、発達障害にはならなくても、何かしらの問題はあることはわかりますよ」と。

期せずして、私は、医師と心理士から「グレーゾーン」という言葉を引き出してしまったのです。

発達障害と診断されようとされまいと、それは自分の要素のひとつにすぎず、私の全部を説明できるものではない。そう思っていたつもりでした。
でも、悲しいかな、「グレーゾーン」というお墨付きをもらったことで、胸のつかえがおりた自分がいます。自分のアイデンティティを得られたような気持ちになったのです。
「グレーゾーン」というのも、ある意味自分らしい気がします。発達障害の仲間にも、定型発達の仲間にも入らない、どこにも与しない「アナキスト」っぽさは、まさに私です。

その一方で、「発達障害とはいえない」と言われたことに対して、「だから何なの?」という思いもあります。この視点は、すごく重要だと思っています。
発達障害」とか「パーソナリティ障害」とか「不安障害」とか「うつ病」とかいろいろ名前がつくけど、いったい何が違うの? 「困ってる」という点では同じじゃん? というか、「困り方」だって症状だって、かなりの部分重なっているのではないでしょうか。
脳がどうだとか、先天性だ後天性だとかと言って区別しようとしていますが、その根拠自体怪しいということも頭に置いておいたほうがいいと思います。

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