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「思いやり」がわからなかった

プロフィールにも書いていますが、私は左利きです。
今では、利き手を矯正するといろいろと良くないことがあるのは常識になっていますが、私が小さい頃はまだ、必ずしもそうではありませんでした。

両親は、何か考えがあったのか、私の利き手を直そうとはしませんでした。あるいは、たいして深く考えていなかったのかもしれません。左利きだとわかっていたにもかかわらず、野球のグローブは右利き用の(左手にはめる)ものを買って与えられましたし、バットやラケットは右手で振るように教わりましたので。それでも、字を書いたり箸を持ったりするのは、物心ついた頃にはすでに左手を使っていて、そのまま育ちました。

保育園でも、利き手を直されるような体験はありませんでしたし、小学校に上がっても、担任の先生から何も言われることなく過ごしてきました。
身近な人では唯一、祖母からは一緒に食事をするたびに利き手の注意を受けました。それで、世の中には左利きを良くないと思ってる人もいる、ということがわかりました。でも、祖母と会うのは年に数回程度でしたので、その時だけごまかして乗り切り、普段は左利きのままで生活を送っていました。

そんな平和な日常(?)に暗雲がたちこめたのは、小学1年の夏に引っ越しをして転入した学校でのことでした。新しい担任の先生は、4~50代ぐらいの男の先生でした。その先生が、私の利き手を矯正しようとしたのです。
だけど、右手だと字がうまく書けないし、ご飯も早く食べられないし…。とにかくわずらわしいので、先生の目を盗んでは左手を使い、それを見つかっては注意され、という日々が続きました。

ある日の授業中のこと。この時もまた、私は先生から利き手の注意を受けていたのですが、それを見ていたクラスの子が先生に言いました。「利き手は直さなくてもいいって、お母さんが言ってたよ」と。すると、クラスのほかの子たちも、次々に言い始めました。「ぼくのおばあちゃんも左利きだよ」「弟が左利きなのを直そうとしたら、お医者さんに止められたんだって」。

クラスのみんなが言ってくれて、私としては喜ぶべき場面だったと思います。でも、私はその時、そういう気持ちにはなりませんでした。
いまクラスの中で起こったことに、ただただ、とてもびっくりしてしまったのです。


クラスの子たちは、なんでこんなことを言うのだろう?

自分のことならともかく、ほかの子のことについて。

しかも、先生のような大人に向かって、反対の意見を言うなんて!


いま思えば、みんなが私のことをかばってくれたのかな、これが思いやりっていうものなのかな、とわかります。でも悲しいかな、当時の私には全く理解できませんでした。

この話を先日、心理相談室の面接でしたところ、セラピストから「いまは思いやりだってわかるんだよね? 何歳ぐらいからわかるようになった?」と聞かれました。たぶん、小学4年生頃には理解できるようになったと思います。ただ、それも「思いやり」という概念がわかっていただけで、使いこなせてたかどうか(例えば、小学1年の時のクラスメイトと同じように考えたか、行動できたか)はかなり疑わしいのですが。
セラピストの先生いわく、ちょうど小学4年=10歳あたりで、発達障害的な特徴がほかの能力によってカバーされ、目立たなくなっていくのだそうです。

小学4年といえば、その頃、私は母親と一緒に児童相談所に通っていました。週1回ペースで、半年ほど通所しました。いじめを受けていることをきっかけに、担任の先生から言われて通わさせられることになったのですが、母は「なんでいじめをしてる側じゃなくて、いじめを受けてる側がそんな所に行かなきゃいけないのか」と憤慨していました。
確かに、いじめということでいえば被害者の立場なのだから、抵抗感をもつのは当然です。また、当時からよく世間で言われていましたが、いじめはいじめられる側にも問題がある、というような言説にも大反対です。
ただ、感情的なものを抜きにして振り返ってみると、担任の先生は、私がもっている違和感のようなものを、形はどうあれ捉えていたのだと思います。協調性の無さなどの「人並みのレベルから外れている部分」を察知したから、児童相談所に行くように勧めたのだと思うのです。

児童相談所では、心理検査を受けたり、箱庭療法をしたり、遊戯療法(相談員の先生とのボール遊びなど)をしたりしました。時間は毎回1時間半ほどで、その間、母はたぶん別の相談員と面談をしていたと思います。
半年後、最後の通所日に相談員から言われた言葉は「特に問題はない」でした。実際にその後、学校での処遇も何も変わりませんでしたので、周りの関係者の間でも「特に問題はない」と判断されて終わったのでしょう。
すでに小学4年だったから発達障害的な傾向が薄れていたのか、あるいは、当時の発達障害の鑑別技術がそこまで進んでなかったのか。ともあれ、おそらく私が発達障害と認識されたであろう最大の契機で、そのことは見逃され過ぎ去っていきました。


◆      ◆      ◆


…と、ここまで書いたところで、これ以上、言葉が続かなくなってしまいました。
なので、唐突ですが、今回のエントリはこれで終わりです。

いつもなら、何かしらそれなりに文章を締めくくるところなのですが、今回のエントリに限っては、それをすると自分の心に嘘をついてしまうような気がします。
いろいろな思いが去来して、自分の中で折り合いをつけられないのだと思います。今回書いたテーマは、そのくらい自分にとって重かったのかもしれません。もう何十年も前の話なのにね。

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