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「愛」って曖昧で非論理的

障害 書評 考えていること

久々にブックレビュー、というか感想です。

逢坂みえこ『プロチチ(1)』講談社(イブニングKC)

主人公の徳田直は、敏腕編集者の妻・花歩と、0歳児の息子・太郎との3人暮らし。いい大学を出ながらも、社会にうまく適応できずに退職を繰り返して、今は無職の身。妻が産休明けで職場復帰する傍ら、直は専業主夫として子育てを担うことになります。
ふとしたことから、自分がアスペルガー症候群であることに気づく直。これまでの人生で感じていた生きづらさに納得した反面、世間一般の夫のように、職を持って家族を養うことができない自分に劣等感を抱いていました。しかしある日、公園で出会った婦人から「プロのお父さんなのね」と言葉をかけられたことをきっかけに、子育てが自分の使命なのだと感じるようになります。

…と書くと、まるで重く堅苦しい話のように見えてしまいますが、全くそうではなく、軽妙かつコミカルにストーリーは進みます。そして、この軽妙かつコミカルなところが、発達障害という、ともすると繊細に扱うべきとされている題材を描く上で、いい方向に転がっているように思います。


ひとつは、障害をもつ主人公を、いわゆる弱者として描いてない点。障害があるから特別な支援が必要、という描写がされていません。
だからといって、主人公が全く助けを借りていないわけではありません。妻の花歩は直の特徴をわかっていて、要所要所でフォローを入れています。「こいつは絶対べんちゃら言えへん男やねん」と言っていた友人の大悟も、直の良き理解者なのでしょう。
しかし、そういった理解や励ましは、必ずしも主人公が障害による困難にぶつかったときのものではなく、もっと日常の、ごく当たり前のやりとりの一部として描かれています。だから、障害のあるなしに関係ない、誰にでも当てはまる話のように感じられるのです。

もうひとつは、主人公が受けた不利益を中立的に描いている点。
会社を辞めさせられたり、陰口を叩かれたりということは、主人公にとって辛い体験として描かれています。しかし、だからといって、差別だ偏見だと社会を批判するような描写はありません。
ママ友たちの陰口に花歩が怒るシーンがありますが、これもただ単に、夫の悪口を言われて怒っているだけのように見えます。
障害をもつ人を描く漫画の場合、とかく障害の描き方や作者のスタンスに注目が行きがちです。しかし、この作品の場合は、主義主張をできる限りなくした上で、捉え方を読み手に委ねているように感じます。これはこれでアリだと思います。


読み手に捉え方を委ねているという意味で、特に印象的なシーンがあります。
集団接種に行った病院で話しかけられた若い父親に、主人公が「必要ですか? 愛って」と言って驚かせる場面。さらに続けて「(A)愛はあるけど世話はしない (B)愛はないけど世話をする なら(B)がベターだと思うのです 特に乳幼児期は」と断言します。その後、主人公は大雨の中、息子を抱きながら家に帰るのですが、自分がいくらずぶ濡れになっても、息子を雨に濡れさせません。それは愛のためではなく、子どもは小さくて弱い存在だからだと主人公は考えます。そして、腕の中で安心そうな笑顔を見せる息子を見て、自分も安心します。

人によっては、これこそが愛のかたちだと捉えるでしょう。本人はそう気づいていないけれど、立派に愛情を注いでいるのだと。また、人によっては、アスペルガーだから「愛」という感情表現がわからないのだと捉えるかもしれません。
そういう見方も間違っているとは思いません。でも、私は別の捉え方もできると思います。「愛」なんて、さもわかりきっているもののように思っていたけれど、考えてみればすごく曖昧で非論理的なものだなと。そして「必要ですか? 愛って」という問いに対して、私は明快な答えを持っているだろうかと。今まで常識だと思っていたことを、根本から問い直されているような気がするのです。


近頃は、アスペルガー症候群の当事者が著した本が多く出版されています。アスペルガーの人の感じ方・考え方については、作者もよく勉強して描いていると感じました。
先天性の障害に気づかれないまま成長し、大人になってから障害の診断を受けた人の中には、診断を受けたことで安心した、救われたと語る方が多いそうです*1。主人公の彼も、自分がアスペルガーだと知った時に喜びの表情を見せます。この描写は、現実の同じような立場の人が味わう心情に近いものなのでしょう。
表現にも、とても工夫が感じられます。例えば、「やりかけの作業を中断する」ことが「排尿や排便を中断するのと同じレベルの耐えがたい苦痛」なのだと比喩で表現している場面。アスペルガー症候群の人の感じ方・考え方を、具体的にわかりやすく汲み取ることができる描写です。

ただし(これは、この作品が悪いわけではないですが)、この主人公が「アスペルガー症候群の典型」ではないということには、少し注意する必要があると思います。直の場合は他人の感情が理解できないという特徴がありますが、逆に、他人の感情に共感しすぎるタイプの人もいます。アスペルガーといっても、人それぞれだということです。


今のところ、繰り返し遊びが好きなところなど、息子と気が合っている主人公ですが、子どもの成長とともにストーリーがどう展開するのか、期待とともに若干の不安も感じます。この先も、変にシリアスにならずに、軽いノリで進んでいってほしいと思います。

*1:石川准・倉本智明編著『障害学の主張』明石書店 第6章 ニキ・リンコ『所属変更あるいは汚名返上としての中途診断──人が自らラベルを求めるとき』

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