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貧困のカテゴライズが自己責任論を助長するのではないか、という危惧

老人ホームでの介護者による虐待事件が、ことあるごとに報道されています。
そして、それに関連して、いろいろなことが言われます。

ここでは、そのひとつを取り上げたいと思います。
中村敦彦というルポライターが書いた、ネット記事です。

ルポ・「地獄」の介護現場 ~虐待・セクハラ・逆ギレ……職員の「質の劣化」が止まらない 絶望的な負のスパイラル | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]

最初から普通ではなかった。開設前の職員の求人面接に遅れずに来た人は半数程度。来たとしても「できるだけ楽な仕事をしたい」「すぐに有給休暇を全部欲しい」「朝、起きれるかわからない」など、常識を逸脱したことを平気で言う人がたくさんいた。
たまに応募があったとしても精神疾患を抱えていたり、読み書きができなかったり、著しく常識がなかったり。普通の人だと思って採用しても窃盗するなど、健康な普通の人を採用するのは非常に困難です。

さらに、中村は「健康な普通の人」とは真逆の「常軌を逸脱した」人を指して、「経済的貧困」と「関係性の貧困」をダブルで抱える社会的弱者なのだ、と述べます。
そして、こういう劣化した人材が、介護の質を劣化し、介護現場を破壊しているのだと。
社会構造に対する問題提起、と言えば、聞こえはいいかもしれません。

また、こういう記事を読んで、溜飲を下げる人は多いのでしょう。
事件を起こした人の特徴を知ることによって、その人は特別な人だということにして、自分はそういう人とは違うのだと納得する。
そうやって、自分を安全な場所に置きたがるのは、きっと人間の性根なのだと思います。

しかし、当然ながら、個人の特徴に問題を帰結させることは、そういう特徴をもつ個人を貶めることにほかなりません。
それだけでなく、もっと大きな問題があります。
こうした文脈で、個人の特徴が挙げられることは、そういうカテゴリーにある人の自己責任として扱われかねないのです。

こういう記事を書くライターは、所詮、人間の性根につけこみ、センセーショナルに伝えることによって、読者を煽っているだけです。
そうすればページビューが稼げて、お金になるのでしょう。
だから、わざわざそれに乗って批判するのは、相手の思うツボなのかもしれません。

ただ、ここでことさら中村淳彦の文章を取り上げるのは、この記事が出る直前に、彼が書いた『女子大生風俗嬢』という本を読んだからです。

Amazon.co.jp: 女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル (朝日新書): 中村淳彦: 本

この本の中で、沖縄の大学に通い、経済的に苦しい生活を送り多額の奨学金を借りながら、貧困や紛争を抱える後進国に関わるNGOへの就職を目指している学生のことが、取り上げられています。
そして中村は、彼女のことを指して、こう述べるのです。

島袋さんが熱心に課題としている後進国の貧困より、雇用が破綻して経済的に閉塞する沖縄で、有利子負債を抱えながら水ばかりを飲んで学生生活を送る自分自身の貧困をなんとかするべきと思ったが、本人にそのような自覚はまったくなかった。
意識を高くして過酷な後進国に目を向けることで、自分自身が経済的貧困を抱えている現実から逃避をしているようにみえた。

つまり、貧困に陥っている人に限って、意識を高くすることによって、自分が置かれている状況から現実逃避するという特徴がある、と言うのです。
一方で、「ブラックバイト」問題を提起している中京大学の大内裕和教授の言葉を援用しながら、社会問題としての貧困を述べます。
個人的な問題だけでなく社会的な問題もある、として、バランスを取っているつもりなのかもしれません。
しかし、このような一見バランスが取れた言説によって、説得力があるように読者に思わせることが、余計に厄介なのです。


近ごろ、貧困に陥りがちな人をカテゴライズするような論調が、増えているような気がします。
2015年の流行語大賞にもノミネートされた、藤田孝典の『下流老人』も、そのひとつなのかもしれないと思っています。
上の中村淳彦よりは、100倍マトモだとは思いますが。

Amazon.co.jp: 下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 (朝日新書): 藤田孝典: 本

本の中盤では、下流老人に陥りやすい人について5つにカテゴライズされ、後半では、下流老人に陥らないための自己防衛策が述べられています。これらについては、一冊の中で多くのページが割かれており、この本の中心的な内容になっています。
その一方で、終盤では公営住宅の充実や負の所得税の導入など、社会への提言も行われていて、バランスが取れているように見えます。自己責任論への批判も少し触れていて、そのへんも卒がありません。

悪意はないのかもしれませんが、悪意がなければいいというわけでもありません。
そもそも、貧困に陥らないためには自己防衛も必要などと、反貧困に取り組む人間が主張すること自体、いかがなものかと思います。

こうした主張になってしまう背景には、ひとりの人にリソースをかけて支援すればするほど、大勢に対する支援ができなくなるというジレンマがあるのかもしれません。
だから、言ってみれば効率的に支援を行う必要があり、そのためには、ある程度カテゴライズして対処する必要に駆られているという側面もあるのかもしれないと思います。

しかしそれが、一面的に良いことであるかのように述べられるのは、良いことではないと思います。
若者の貧困があると言われ、いやいや高齢者の貧困もあるのだと言われ、この次は誰かが「中年の貧困」などと言うのかもしれないですね。
安易すぎる気がしますし、むやみに無批判にもてはやすのは、どうかと思っています。
新書やウェブ記事のような、多くの人が軽く読む文章だからこそ、こういう安易な論理を展開しないでほしいのですが。

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