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勤務してた施設の話(1)

郷に入れば郷に従え、って言葉ありますよね。僕、それを地で行ってるところがあるんです。いちおう、それなりに社会経験があるつもりですけど、その経験ってどこでも通じるわけではないって思ってますから。
例えば、同じ「制作ディレクター」って肩書きでも、転職して会社変わったら、やることが全然違ったりしますもんね。そういうことを、だいぶ経験してますから。だから、自分の経験なんて所詮、自分が身を置いた範囲での経験でしかない、って思ってるんですよ。
そんなふうに思っちゃう心の奥底には、たぶん自分に自信がないっていうのがあるんで、あんまりいいことではないとは思います。でも、それだけじゃなくて、常に謙虚でありたいっていう気持ちもあるんですよね。
そういう気持ちを、ほかの人にわかってくれるといいんですど、まあ誤解されることも多いですね。年甲斐もなく苦労してないねとか、直接言われたこともありますよ。裏目に出ちゃうことは、ありますね。

社会福祉士の資格とってから就職したときも、とりあえず「郷に入れば…」って気持ちでした。親の会とか共作連※とかCILとか、違いがあるっていうのはいちおう知ってましたけど。名古屋だったら、AJU自立の家とか、わっぱの会とか、ゆたか作業所とか、ほかにもいくつか。でも、AJUとわっぱがとりわけ特殊なだけで、それ以外の所はそう大差ないだろうって思ってました。

(※現在は「きょうされん」ですが、ひらがなだと文章が読みづらくなるので「共作連」と表記します。)

就職したのは、共作連系の作業所でした。30人定員のわりと小規模な所で、一見ゆるい感じではあったんですけど、やっぱり「ザ・施設」って感じでしたね。作業場でも食堂でも誰がどこに座るか決めてるし、車で出かけるときも事前の職員会議で席順を決めるんですよ。この人とこの人は相性が良くないから離れた所に座らせようとか、この人は飛び出すから内側の席にしようとか。
歩いて10分ぐらいの公園に10数人で行くのに、2列で並ばせて歩かせたときには、さすがにびっくりしましたね。「幼稚園かよ!」って、心の中でツッコミ入れてました。でも、こうなったらとことん、どんなもんなのか見てやろうと思って、さも平然とした表情しながら仕事してました。

就職して2ヶ月ぐらい経った頃だったかな、共作連の支部総会があるっていうんで、行かされました。県支部の総会です。土曜日の朝から夕方まで、事業報告だの予算案だの、かったるいなーと思いながら、聞き流してました。真面目に聞いてるフリしてね。
会の終わりのほうで、「利用者部会」っていうのの活動報告があって、こんな活動やってますーっていう紹介があったんですけど、その報告をしてたのが身体障害の人で、「なんだ、身体障害者かよー」って思っちゃいました。こういう言い方、語弊があるかもしれないですけど。でも、共作連って知的障害の人が多いと思うんだけど、結局こういう活動するのって身体の人なのねーって思っちゃって、幻滅でしたね。ゆたか作業所には自治会があるらしいって聞いたことがありますけど、自分の所は自治会の「ジ」の字もなかったし、利用者部会なんて自分の所には無縁だろうなーって思いました。
で、やっと総会が終了ってなったときに、司会の人が「今年もがんばりましょう」とか言って、参加者全員で「エイエイオー」とか、みんなで拳を振り上げたりしちゃって。ドン引きしました。このノリ無理無理って(笑)。生理的に無理だわって、ゾワッしたのを覚えてます。

職場の始業は朝9時で、終業は夕方の5時でした。朝は少し早く来ることになってましたけど、夕方は5時になったらパッと終わりって感じでした。残業する日は、99パーセントなかったです。残業する日は、よっぽど特別な日っていう扱いでした。
これまで、まったく残業がない職場で働いたことがなかったんで、正直とまどいました。いったい夕方以降の時間をどうやって過ごせばいいんだろう、って。就職してから初めのころは、体力的にも精神的にもまだけっこう余裕があったんで、職場には内緒で、別の所でヘルパーをしてました。

社会福祉士の実習先が、AJU自立の家だったんです。規定の実習時間は180時間、だいたい1ヶ月ぐらい。2週間ずつとか、前半と後半に分けて2つの場所で実習をさせる学校も多いみたいですけど、僕のところの学校はずっと1ヶ所の実習先でやる形でした。だから、AJUには1ヶ月間入り浸ってたんです。この1ヶ月は、ものすごく楽しかったです。あまりに楽しすぎて、規定よりも30時間ぐらい多く実習しちゃったぐらいです。
1ヶ月入り浸ってうちに、けっこう親しい人もできました。最近も、地下鉄の駅とかでわりとよく出会うんですよ。電動車いすの人だと目立ちますからね、見つけたら、あーどうもどうも、って。
昨年だったかな、僕が通ってる大学の中で出会ったときは、お互いびっくりしました。社会福祉の授業で講師みたいなことをしたらしいです。3人いたんですけど、その3人とも親しい人で、どうしてこんなところにいるの?って聞かれて、今ここで大学院生やってるんですよーって言ったら、「うへーっ」って言われました(笑)。

実習が終わってからも、まだ社会福祉士の養成校に通ってる最中でしたけど、AJUの自立生活体験室に来た人の介助に入ったりしました。体験室に来る人は、まだ学校に行ってたり入所施設に入ってる人とかなんで、重度訪問介護とかの制度は使えないんですよね。だから、介助に入ってもお金はもらえないです。交通費ぐらいはもらったような憶えがありますけど。でも、その代わり、資格がなくても介助に入れたんです。
入所施設に入ってた人が自立生活体験室に2週間来た時に、何回か介助に入りました。普段は入所施設にいる人なんで、体験室に来る時は、あれもしたいこれもしたいって、計画を練って来るんですよね。でも、どういうふうに介助してほしいか伝えることに慣れてないし、そもそも自分にどういう介助が必要なのかも、十分にわかってなかったりもするので、その人にとっては、その2週間っていうのは試行錯誤の連続なわけです。
たしか最初に介助に入った日だと思うんですが、夕食はハンバーグにするって言うので、一緒にスーパーに食材を買いに行きました。で、ホームに戻って、いざハンバーグを作るってなったのですが、僕、料理できないし、ハンバーグとか作れないんで(笑)。ここぞとばかり、介助者手足論?に徹して、その人に指示されるがまま調理しました。そしたら、ハンバーグみたいに固まらなくて、肉野菜炒め?みたいになってしまいました。でもまあしょうがないということで、それを食べることになって、僕は食事介助したんですけど、味はそこそこ美味しいらしくて、でも見た目はハンバーグとは似ても似つかない食べ物で…。僕はしれっと「今度は作り方調べてきてね」とか言っちゃったりしたんですけど(笑)。でも、その人は、そういうことも含めて楽しいみたいで。それが印象に残ってます。

そのあと、これもまだ社会福祉士の資格を取る前だったんですけど、ヘルパー2級の資格も取って、AJUの介護事業所にヘルパー登録しました。
就職する前、2月か3月ぐらいだったかな、AJUの福祉ホームに新しく入居する人がいて、その人はもうすぐ学校を卒業するっていう人でした。脳性まひの人です。最初に会ったのは、前の年の秋か冬ぐらいに、自立生活体験室に2週間ぐらい来た時だったと思います。そのつながりで、ホームに入居したときに声をかけられました。1週間に1回か2回、平日の夜の6時か7時から夜中の0時までヘルパーに入るようになって、その流れで就職後も、6月か7月の初めぐらいまでヘルパーを続けてました。
でも、0時まで介助をして家に帰って、翌朝の9時に職場に出勤してっていうのがキツくなってきちゃって。その人の介助者がだいぶ足りてきたかなって思ったところで、徐々にフェードアウトしました。

今考えると、職場とAJUっていうぜんぜんタイプの違う所で働いてたことで、心のバランスがとれていたのかなーと思うんですよね。続けておいたほうが良かったのかなーっていう気もするんですけどね。
でも、その時はけっこう限界に来ちゃってました。限界に来ちゃってるぐらい、職場でのストレスがキツくなって来てたのかなあって、振り返るとそう思います。

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